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NBA新時代
そしてジャパンゲームスが帰ってきた
今シーズンのNBAは、日本のファンにとってはいつもと異なる高揚感の中で開幕をしています。ワシントン・ウィザーズのルーキー八村 塁選手の衝撃的デビュー、メンフィス・グリズリーズとの本契約獲得を目指す渡邊雄太選手の挑戦を筆頭に、理由はいくつもあります。
その中でも大きなものとして、10月上旬に楽天株式会社がホストとなり、NBAジャパンゲームス2019が開催されたことが挙げられます。NBAの試合が日本に再び帰ってくる――これは同イベントが最後に開催された2003年以来、ファンが待ち焦がれた出来事でした。
16年前は、ロサンジェルス・クリッパーズとシアトル・スーパーソニックスがホーム&アウェイを交互に努め2試合を行う、レギュラーシーズン開幕シリーズでした。
当時、今大学を卒業する若者たちはまだ6歳。50歳代半ばのバスケットボール・ジャーナリスト(私のこと)もまだ30後半でした。クリッパーズの中心選手はエルトン・ブランド、コーリー・マゲッティー、クエンティン・リチャードソン。ソニックスにはラシャード・ルイスとブレント・バリーがいました。このチームはその後、2008年にオクラホマシティに移転。ニックネームがサンダーに代わりました。NBAジャパンゲームス2019に、トロント・ラプターズのレジェンドとして姿を見せたクリス・ボッシュにとって、2003-04シーズンはルーキーシーズン。クリーブランド・キャバリアーズがこの年のドラフト1巡目1位で指名したのがレブロン・ジェームス(現ロサンジェルス・レイカーズ)でした。
HOOPの編集長だった2014年にサンアントニオでNBAファイナルを取材した際、私はその年にNBAコミッショナーに就任したばかりのアダム・シルバー氏の囲み取材に参加する機会を得ました。「最後にNBAジャパンゲームスが開催されてからすでに10年以上たちます。日本のファンはどれだけ待てばよいのですか?」と尋ねると、シルバー氏は「It’s a good question」と切り出し、考えを語ってくれました。録音した音声データを今確認できないため一字一句を書き記すことができませんが、彼は日本に常に強い興味をもっており、市場の可能性を検討していると話しました。次のNBAジャパンゲームスがいつになるか明確には言えないものの、実績もありファンの反応が良いこともわかっているので、今後も注目していくという趣旨で、大いに勇気づけられたことを覚えています。
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