コービー・ブライアントを想う

日本時間127日早朝、ワシントンD.C.に住むライター、マイケル・スティーンストラから短いメッセージが送られてきた。「Kobe」、そして泣き顔の絵文字1つで終わっていた。 

コービー・ブライアント氏、お嬢さんのジアナさんを含む9人の命を奪ったヘリコプター事故。ソーシャルメディアには、悲報に触れた人々からのメッセージがあふれていた。 

朝の家事に手を取られ、簡単な朝食をとり、オフィスにたどり着くまでの約2時間半、そんなことがあるものかと思いながらニュースを追いかけた。

しかし、マイケルからのメッセージを否定するニュースを見つけることはできなかった。

13歳の次女、ブライアント氏が引退後に開設したマンバ・アカデミーでバスケットボールに情熱を注いでいたジアナさんも同乗していた。彼女の試合に向かう途中の悲劇であり、ジアナさんのチームメイトだったペイトン・チェスターさんとその母親のサラさん、同じくジアナさんのチームメイト、アリッサ・アルトベリさんとご両親のジョンさん、ケリさん、マンバ・アカデミーのアシスタントコーチだったクリスティナ・マウザーさんも一緒だった。

パイロットはアラ・ゾバヤンさんが務めていた。生存者はいなかった…。

コービーが引退した2015-16シーズンのHOOPより
コービーが引退した2015-16シーズンのHOOPより

止まらぬ悲しみ…

※以下の文章では敬称を略させていただきます。

 

亡くなられた皆さんが、どうか安らかにお休みになられますように…。悲痛な思いの中にいるご家族や近親者の皆さんにも、いつの日か平穏な日が帰ってきますように。

悲報から2週間以上が過ぎても、毎日そんな言葉が浮かんできます。悲しみは消えず、同じ世界に住む人々も、多くが同じ状態のようです。その間にNBA、リーグの各チーム、多くのプレイヤーや関係者、世界中の数えきれないファンが、目に見える形で哀悼の意を表しました。

コービーが20年間在籍したロサンジェルス・レイカーズは、現地131日(日本時間21日)にホームのステイプルズ・センターで行われた対ポートランド・トレイルブレイザーズ戦ティップオフ前に、厳かな追悼セレモニーを執り行いました。また、現地224日にはあらためて公的な慰霊式典を催すと発表しています。

私自身、2-3時間に一度はコービーの現役時代のプレイや家族との心温まる情景が頭に浮かんできます。そのたび、感情が抑えられなくなるのです。特に彼のファンではなく、彼よりも14歳も年上であるにもかかわらず…。

コービーが引退後の自身に課したことや、家族とともに描いていた夢などは、とても私自身のそれと比較できるものではありません。しかし、人生のパートナーとともに生き、父親として我が子をいとおしいと感じた経験を持つ身として、胸をえぐられるような痛みを感じます。

そんな状態で、Bリーグの取材をさせていただきました。今シーズンのBリーグにはいくつかの点で昨シーズン以上に注目しており、取材の最初のアプローチはコービーとはまったく無関係だったのですが、現状を受けてコービーを中心としたコメント取りをさせていただきました。

 

8秒、24秒バイオレーションを

多く獲れるように頑張れば、コービーに届く…

 

 

今回の取材は2会場。最初が21日(土)に青山学院記念館で行われたサンロッカーズ渋谷対琉球ゴールデンキングス戦、次は29日(日)の千葉ポートアリーナ、千葉ジェッツ対名古屋ダイヤモンドドルフィンズ戦でした。渋谷と千葉はともに、強豪ぞろいの東地区で2-3位を争っています。また琉球は西地区で、大阪エヴェッサと首位争いをしています。名古屋は29日までを終えて西地区5位と、この中で唯一低迷しているとはいえ、昨年FIBAワールドカップで奮闘した安藤周人や元NBAで千葉にも所属したことがあるヒルトン・アームストロングなど注目すべきプレイヤーがいます。

 

「水曜日の試合(129日の対千葉戦)でライアン・ケリーがルーズボールにダイブしたシーンがありました。もともとハードワーカーですけど、あれはコービー選手と一緒にやって(学んだ)戦う姿勢をみせたのだと僕は思いました」と語るのは渋谷の伊佐勉HC。「ハードにやるのはチームのスタイルですが、コービー選手が亡くなられて、みんなそれが頭の中にあると思います」。それは伊佐HC自身も同じようで「みんなには言っていないですけれど、8秒や24秒のバイオレーションを多く獲れるように頑張れば、(レイカーズでNo.8, 24を付けていた)コービーさんに届くのかなという思いで、プレッシャーをかけるように声をかけています。今日いくつか獲れたので、それはよかったです」と話してくれました。

 

スペイン出身のビッグマン、セバスチャン・サイズ(渋谷)も、コービーに対する思いを言葉にしてくれました。「私だけでなく、彼のプレイを見て育って、彼のように競争心をもって戦えるアスリートになりたいと思い、影響を受けたプレイヤーはたくさんいる」というサイズは、「引退してこれからやっと家族との時間を楽しめるところだったのに、このような事故でそれがかなわなくなるとは何ということか…。人生は何が起きるかわからないということを痛感しました」と悲しみを語りました。

 

この日もう一人話を聞いたのは「コービーは僕らの世代だったら間違いなく影響を受ける選手」という琉球の岸本隆一。彼自身、過去一年間は“失う年”だったそうで「当たり前だと思っていた日常がなくなるということが僕自身に多くて、日ごろの当たり前ということがどれだけ尊いものなのか、今回の件でも感じました」と話してくれました。さらにはこの日の試合でもピンチにふと、その当たり前に対する感謝で頑張れたといい、次のような言葉で締めくくってくれました。「相手のいい流れの時に、もっときつい状況があると思うタイプなので…。どんなにバスケットボールで悪い状況があったとしても、バスケができている幸せ、それを応援してくれる家族がいてくれる幸せは何よりも勝るというか…。日常のありがたさを、この出来事を知った人は感じたのではないかと思います」。