Original title by the arthor: Why All Star Weekend is So Special to Me
Written by Michael Steenstra, Introduction & Translation by Takeshi Shibata
その日、仕事に向かう車中で携帯電話が鳴った。ヘラルドからだった。
「悲しい知らせがあるんだ、マイキー…。」
これから話そうとしていることを信じたくも、話したくもないような空気が伝わってきた。
「アーノーが昨夜、寝ている間に亡くなった。」
痙攣が彼を襲ったのだ。それもひどいものが。その後の検死解剖によれば、微小腫瘍が原因だったようだ。
私は打ちひしがれた。どうしていいのかわからず、頭がくらくらするような状態だった。泣くことしかできなかった。なんとか会社にたどり着いたものの、上司の前で泣き崩れてしまった。どのように話したか覚えていないのだが、その日は帰ったほうが良いよと言ってもらえた。ヘラルドとロスコーと私はその午後、D.C.にあるブラック・ルースターというパブで落ち合うことにした。我々はそろって泣いた。
しかし、笑いもした。短い時間に、アーノーとの思い出の数々を語り合った。
彼の葬儀が終わった後、驚くほど大きな支援がNBA関係者たちから寄せられ、我々は驚かされた。フランス出身のプレイヤーたちは哀悼の意をツイートし、数日後にヴェライゾン・センター(現キャピタルワン・アリーナ=ウィザーズのホームアリーナ)で催された「Celebration of Life」と名付けられたお別れの会には、エイドリアン・ダントリー(6度のオールスター選出ほかNBAで輝かしいキャリアを記したレジェンド)が家族を伴って参加してくれたのだ。
しかし、私が親友を失ったことに、変わりはなかった。
約束の地、シャーロットでのNBAオールスター
2016-17シーズンが始まり、ニューオリンズでのNBAオールスター・ウイークエンド2017(前述のとおり、当初シャーロットで開催予定だったが、ニューオリンズに変更となった)が近づくとともに、ヘラルドと私は、何とかして失われた親友に対する敬意を示したいと感じていた。そして、オールスター開催地に行って、アーノーがやるのと100%同じように動こうと決めた。あのときも非常に楽しい体験をしたが、一方で、アーノーがその場にいないという事実がふいに思い起こされるたび、涙を拭わなければならなかった。
あの時から2年が過ぎ、私はついに、シャーロットでのNBAオールスター・ウイークエンド2019での取材を実現した。この街は私にとって、アーノーと一緒に行こうと約束した場所だ。アーノーのためにも、私たちはすべてのイベントに足を運び、バリバリ取材に精を出した。といっても、アーノーなら私の倍以上動いて、3倍の記事を作り出していただろうと思うが…。
今回、これまでで最高の取材ができたと思う。
NBAオールスター・ウイークエンドが終わって自宅に戻ったときは、さすがに疲れていた。たぶんこの2年間、アーノーを思って泣いたことはなかったと思うが、偶然ネットフリックスで、マルチタレントのアダム・サンドラーが歌うクリス・ファーレイ(1997年に逝去したコメディアン)への哀悼歌を聴いていて、アーノーが頭に浮かんできた。
涙があふれた。9ヵ月になる娘を腕の中に抱きながら、私は泣いた。彼を失った悲しみが胸を満たした。彼が生きたであろう将来を思い、涙が止まらなかった。ヘラルドと私と一緒に、今年のオールスターをシャーロットで楽しめたはずじゃないか。
でも、これからはアーノーを思い出して泣くべきではないと思う。それよりも、彼の人生を祝福したい。彼は幸せな生涯を過ごしたのだ。事実、彼は亡くなるわずか数ヵ月前、私が今回足を踏み入れたシャーロットのスペクトラム・センターで、憧れの人物だったマイケル・ジョーダンに遭遇し、セルフィーを撮ることに成功していた。彼とMJの写真は、一人の人間が全力で生き抜いた証しだ。31年間の生涯で、彼はやりたいことをやり切ったわけだ。
さて、我々はどれだけ人生を大切に生きているだろう。彼の前に、簡単な言い訳は通用しなさそうだ…。