Fan Zone Special

#CHOSEN_ONE 渡邊雄太の4年間

Part 1 衝撃のワークアウト

Photo courtesy of George Washington University Athletic Department     

渡邊雄太選手のプレイを始めてこの目で見たのは、2014年の夏でした。尽誠学園高を卒業して渡米した彼はセントトーマスモア・プレップスクールで1年間プレイしたあとであり、同校でのバスケットボールと学習課程をすべて終え、一時帰国していたタイミング。ジョージ・ワシントン大入学を直前に控え、母校尽誠学園高のコートで、現役プレイヤーたちの練習に参加してワークアウトするということでした。

2012年のウインターカップで尽誠学園高の準優勝に貢献し、同校在学中から日本代表に呼ばれるほどのプレイヤーでしたから、当然バスケットボール関係者の誰もが、彼に注目していました。私も、チームが公表する成績のデータとYouTubeでみられる試合のダイジェスト映像を頻繁に確認し、彼の成長を追いかけたものです。

しかし、パソコンの画面だけでは感覚的にわからないこともたくさんあります。やはり間近で見てみないと…。そこで、専門誌の編集やNBAのテレビ解説でもおなじみの島本和彦さんに相談してご家族を紹介していただき、ワークアウトのタイミングを聞いて現地に飛びました。

活気に満ちた尽誠学園高のコートで目にした渡邊選手の様子は、あまりにも驚くべきものでした。当時の尽誠学園高が比較的小柄なチームであったからというのを差し引いても、彼の高さとスピードは、ほとんど同じ年代の高校3年生たちとは格段に違うレベルにありました。異次元という言葉が、その時の感覚を最も適切に言い表すように思います。

身長が200㎝を越えたという渡邊選手は、フリースローラインから一歩踏み込んだあたりからジャンプし、リムのはるか上空から豪快なスラムダンクを叩き込んでいました。まるでNBAのスラムダンク・コンテストのような迫力満点のドライビングダンクを、目の前で何度もぶちかましていたのです。

 すごかったのは高さだけではありません。フルコートをガンガン走り、ペリメーターで勝負するオールラウンダーとしての俊敏なフットワークは、「すさまじい」というべきものでした。アウトサイドシュートのうまいプレイヤーを、よく「シルキー・スムーズ」と称することがありますが、あの時見た渡邊君のタッチはまさしくそれでした。

ご家族と、そして尽誠学園高の色摩拓也先生のご厚意で渡邊選手本人に話を聞くと、彼は「NBAのケビン・デュラント(当時オクラホマシティー・サンダー、現ゴールデンステイト・ウォリアーズ)が憧れです」と答えていました。しかし、あの時点ですでに「和製デュラント」と呼びたくなるような姿でした。

レフティーであることも考えれば、ポテンシャルはさらに高いようにさえ思えました。加えて、非常に謙虚で落ち着きのある内面の魅力。さらに言えば、まるでファッションモデルのようなスタイルのよさとさわやかな笑顔も世間の目を引くかも…。これはきっと、歴史を変える存在が生まれようとしているのだ。強くそう感じたことを、今でも覚えています。

その秋、渡邊選手のジョージ・ワシントン大におけるキャリアが始まったわけですが、当時ヘッドコーチだったマイク・ロネガン氏は、彼にプレシーズンからチャンスを与え、実戦で鍛えようとしました。そしてシックススマンとして出場機会を得た渡邊君は、本格シーズン開幕前のエキジビションから、その期待に応え頭角を現します。(Part 2へ続く

ジョージ・ワシントン大コロニアルズ公式ページ

ジョージ・ワシントン大の渡邊雄太特集ページ

渡邊雄太プロフィール&キャリア成績一覧

対ジョージ・メイスン大戦ダイジェスト映像(2018年1月17日)

Takeshi Shibata

O-Media/Ocean Basketball Club